台風でパイプハウスが倒壊した日から、再建までの記録

政策・制度

PCのファイルを整理していたところ、就農2年目の平成30年9月の台風21号で被害を受けたときの記録メモを見つけました。
振り返ると当時の状況が残されており(記憶がなくなっているものもありました)、改めて整理して書き直してみたいと思います。もし同じような状況に直面した方(自分も再度被害に合うかもしれませんし)の参考になればと思い、記録として残しておきます。

台風直撃、そして倒壊の瞬間

9月4日、昼頃から風が強くなり始めました。午後2時半ごろ、暴風域に入り、台風の目が通過しました。

一瞬、雨が止んだので外へ出ました(おそらく台風の目が通過中)。その直後、南からの吹き返しの風が一気に吹き込んできました。

慌てて建物内に戻ろうとした、その瞬間――ビニールハウスが倒壊するのが見えました。

家の中に入ると、建物がミシミシと音を立てています。
「もしかして家も飛ぶのではないか」
そんな恐怖を感じながら、ただ過ぎ去るのを待つしかありませんでした。

30分ほどで風は弱まり、台風は通過しました。

外へ出ると、パイプハウスはほぼ壊滅状態でした。その光景を前にして、正直、呆然とするだけで、特に感情は薄かったです。その日は、道路に散乱したゴミを片付けているうちに日が暮れました。

被害の全体像と、最初の対応

翌日から本格的に片付けを開始しました。

近所のハウスを見て回ると、ほとんどが倒壊していました。無事なハウスはわずかでした。後から聞くと、亀岡市でも被害の少ない地域はあり、台風の通り道の若干の差で被害の違いがあったようです。

まず行ったのは、

  • 垂れ下がったビニールの撤去
    (水が溜まり、残った作物に被害を広げないためです)

そして並行して、行政への連絡も進めました。

  • 京都府の普及センターへ連絡 → 当日中に現地確認に来ていただきました
  • 亀岡市役所へ連絡
  • 被害写真の撮影

さらに、亀岡市役所に行き、被災証明の取得も早めに行いました。
使うか分からなくても、「後回しにすると困るかな」と思ったからです。

解体作業と、人のありがたさ

解体作業は想像以上に大変でした。

基本的には、

  • ハンマー
  • パイプカッター

これでほとんど解体できます。

途中、ご近所の方や親族が手伝いに来てくださいました。人数が増えると、作業スピードはまったく違います。「人がいる」ということが、これほど心強いと思い知りました。

しばらくの間は、「パイプ切断とゴミ搬出」の繰り返しでした。パイプは切断して軽トラに積めるサイズにして、金属を買い取ってくれる業者に持ち込みました。
ビニール系統は産廃業者へ持ち込み、処理しました。もちろん処分費用はかかります。

また、亀岡市が設置してくれた臨時のゴミ集積場の存在は非常に助かりました。

再建に向けた判断

片付けが落ち着いてきたころにパイプハウスの再建に向けて動き出しました。パイプハウスの見積もりを取ると、注文が殺到しているらしく、特に人手不足の影響で工賃は高めでした。

それでも、早く再開するために発注を決断しました。その時点では、

・ 再建にかかる補助金は未確定(公的機関で補助を検討しているという話は出ていました。)

・ 資金繰りは不安(補助が出るまでは、一旦再建にかかる費用は業者に支払う必要があり。このとき手元資金の重要性を再確認しました)

でしたが、後から振り返ると早く再建に向けて判断したことが、結果的には正しかったと思っています。

行政対応と再建

その後、再建に向けて京都府や亀岡市の支援の状況が徐々に見えてきました。

ただし、制度の内容や要件、必要書類などが変更になるなど、少し混乱しました。一方で、「とにかく早く動いた人が有利」という側面も強く感じました。

そうこうしているうちに11月パイプハウスの建設が始まりました。

職人さんが来て、一気に組み上げていきます。やはりプロの仕事は早く、正確でした。

12月には一部が完成し、生産再開の目処が立ちました。

振り返って思うこと

後で聞いた話です、一人きりで農業をやっていた知人の農家は「何から手をつけていいか分からない」という状態でした。

家族や仲間がいるかどうかで、復旧のスピードは大きく変わると思います。「人の力」は何より大きいと感じました。

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